信仰を受け渡す

今、FEBCに学生インターンとして来ている大学生と、週に1回、聖書の分ち合いをしています。
先日からマタイ福音書を一緒に読み始めたのですが、
その1章の、ヨセフにイエス様降誕の予告がされる場面を読みながら、
ふとこんな疑問が湧いてきました。

もしヨセフがマリアを迎え入れなかったら、どうなっていただろう?
たぶん、それでもイエス様は生まれていたのでは?
そもそも、ヨセフがいなくても、マリアはイエス様を生んでいたのでは?
だとすると、ヨセフの存在意義って・・・???

さらにこんなことを思いました。
自分も同じだ・・・もし私がここにいなくても、今日もFEBCの放送は続いているはず・・・

「私なんていなくたって…」と卑屈になっているわけではないんです。
むしろ、そういう自分がここに生かされている不思議さを感じました。

考えてみれば、二千年に渡ってキリスト信仰を受け継いできたのは、そのような一人ひとりなのではないでしょうか。
もちろん、パウロのような人や、聖人、大伝道者と言われる方々もいましたけれど、
大多数のキリスト者たちは、「この人がいたから今のキリスト教がある」なんて言われることのない一人ひとりです。

でも、ヨセフのもとにイエス様が生まれ、ヨセフはそのイエス様を連れて旅したように
一人ひとりとイエス様との旅があって、ヨセフから二千年後の今も、
無名のキリスト者たちによって受け継がれてきたその信仰が
今、無名の私にも与えられている。

そして、FEBCの伝道も、誰か優れた信仰者や、多額の献金者がいかたら・・・ではなく、
この放送を聴き、祈り、ささげる方々が、途切れることなくい続けたから、今日も続いているのですね。

その方々の中には、既に天に召された方々も多くいらっしゃるはずです。
自分が地上の生涯を終えた後も、自分の生きた信仰と同じ信仰を生きる人々がいて、
自分が拠り所としてきた放送を、拠り所とする人々がいる。

そんな不思議な神様の業に参加するひとつの道として、
FEBCでは皆様に「遺贈献金」についてお考えくださることをお願いしております。
ぜひ「遺贈について」のページをご覧ください。
また、リーフレットをご希望のかたは「遺贈献金リーフレット希望」とご明記の上、
お名前と宛先をfebc@febcjp.comまでお知らせください。

この地上で与えられた宝を、地上を去る時に神様にささげる。
次の世代に信仰を受け渡していくため、皆様に心よりお願い申し上げます。

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