押し付けではなく

「これがザ・キリスト教の生き方、なんていうものはないと思います。
自分たちのアイデンティティーは自分のためにあっていいんですけれども、
それをひとに押し付ける必要はないんです。」

今回のコーヒーブレイクインタビューで
増田祐志(まさし)司祭がそのようにおっしゃっていました。
一人ひとりの生き方があって、一人ひとりの信仰がある。
当たり前のようですけれども、何か別のもので上書きすることは出来ないし
してはいけないのだなと、改めて思わされました。

実際、今までの自分の生き方をばっさりと否定する事が
「悔い改めの行い」である、と思われている様なところもあると思います。
確かに、自らの罪の心を砕いて頂きなさい、と聖書には書かれていますけれど、
それが主イエスに新しい生き方を示された実ではなかったら、
単にそれは誰かの指示や命令にひたすら服従しているだけですよね。

聖書に書かれていることは、確かに正しい事であると私達は信じています。
でも、そこに書かれている教えを、完全に実行できたからと言って
やっぱり愛が無ければ何の意味も無い気がします。
教えに忠実なロボットがいても、そこに主の救いを見る人がどれだけいるでしょうか。
でも、私達はときに、そんなロボットを作ろうとしてしまうのかもしれません。

むしろ間違ってもいい、失敗してもいい、
この主と実際に出会い、共に泣いて笑って生きる中でこそ、
一人ひとりの本当の「アイデンティティー」が形作られてゆく。
それが一人ひとりの色とりどりの証となってゆく…。
その様に感じます。

本当の意味で、主イエスのことをお伝えしていく為
一人のクリスチャンとして私は何が出来るだろうか。
改めてその事を考えさせられています。

今回のコーヒーブレイク・インタビュー、ぜひお聴き下さい。
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