「霧の中をも進みゆける信仰」

今回の井幡先生による説教の題は「霧の中をも進みゆける信仰」です。
私達を取り巻く「霧」とは?きっと、色々なものが想像できると思うのですが、
先生はこのように語られていました。

先日、若いお母さんとちょっとお話をしました。一歳児のお子さんを保育園に入園させたいということで、手続きに来られたのですけれど、週に1日だけ園を休んで、今まで行っていた教室にこれからも続けて通わせたいと言うんですね。…お母さんとしては、この先どういう風に育てたらどうなるのかということがわからない。この道がどんな風に繋がっているのかわからない。心配だし、やっぱり安心したい。だから手がかりを得たい。そうやって、一生懸命やっていらっしゃるわけですよね。こういうことが、この世の中には沢山あります。

どうでしょうか。
私は正直、いかにも信仰然とした内容を想像していました。
イエスを信じ抜くことができるだろうか、とか、
この身をお捧げし続けることができるだろうか、とか。
そのキリスト者の歩みを妨げるものこそが「霧」である、と。

でも、先生の視線はとてもフラットでした。
私は、もっと当たり前のことがあるでしょう?と、問われたようでした。

そして聖書からはこのように語られます。

「フィリポ、こんなに長い間一緒にいるのに、わたしが分かっていないのか。」(ヨハネ14:9)フィリポもトマスも長い間一緒にいるのに、イエス様のことがわかっていない。そして、これは私たちも同じだと思いました。教会に長く通っている人でも、イエス様のことがなかなかわからない。ほとんど、そうだと思います。それは、理解する力がないというよりも、私たちは、やっぱり自分の思いによって生きている。そういうところが、常に身に染み付いています。

今まさに、私は霧の中にいたんだ!という感じでした。
どこか狭く考えて、どこか自分の思いに固執して。
それは、知らぬ間に迷い込むからこその「霧」なのかもしれません。

今、私たちに語りかけられている主イエスの言葉を聞くために。
ぜひご一緒に、放送を通し、礼拝を捧げることが出来ましたら幸いです。


日曜礼拝番組 全地よ 主よほめたたえよ
日本基督教団石動教会
説教「霧の中をも進みゆける信仰」牧師・井幡清志
5月9日放送

聴取期限6/5
(約50分)

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