居場所

「病気で、何も信じられなかったけれど、FEBCのお陰でほんの少し楽しみをみつけました。居場所のない自分にとって唯一の拠り所・・・」

そうお便りくださったかたへの恵子さんの声のお返事、その温かい言葉を「うんうん」と頷きながら聴いていたのですが・・・

「よく考えてみると、私たちはみんな居場所がないんですね。」

とのひと言に、えっ!と、頷きが停止してしまいました。
なんだか急に私のほうを指さして「あなただって居場所ないじゃない?ね?そうでしょ?」と言われたような気がしたのです。
もちろん、実際には恵子さんは最初から最後まで、このお便りのかたに語りかけていたのですけど・・・。

そっかあ、本当は私、居場所がないんだった・・・と、
いきなりさらっと本当のことを言い当てられてしまったような、でもなぜか「それでいいんだ」という不思議な安心感を覚えました。

やりがいを感じる場所やホッとできる場所があることは素晴らしいことだと思います。
でもそういう場所を「自分の場所」とするとき、そこで自分の願いどおりにならない事が起きたり、そこに他の人が入ってくることを、受け入れられなくなってしまうことも・・・。
あるいは誰かのひと言や、ほんの小さな出来事がきっかけで、そこが途端に居づらい場所に変わってしまうことも・・・。

そう考えると、無条件でいつでもいつまでも居場所であり続ける場所なんてないなあと思います。
いや、なくていいのかもしれません。

イエス様はこうおっしゃいました。
「行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。」(ヨハネ福音書14:3)

弟子たちとの最後の夕食の席で「あなたがたのために場所を用意しに行く」、そう言ってイエス様が向かわれたのは、ユダに裏切られる場であり、ペトロに否認される場であり、殴られ侮辱され死刑判決を受ける場であり、そしてあの十字架でした。
イエス様のいる所に、私たちもいることになるために。

自分は今、どこにいるのか。
問いつつ味わいたいと願います。
この主イエスの十字架のほかに、私たちが身を寄せる場所はないことを。

「こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。」

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