責任的人間

「私は、思い、言葉、行い、怠りによって、たびたび罪を犯しました。」

カトリック教会のミサに初めて出たとき、皆で唱えるこの祈りの「怠りの罪」という言葉に、妙な親近感を覚えました。
でもその時は、くだらないテレビ番組にうつつを抜かしたり、休みの日にお昼近くまでゴロゴロしていたり・・・そうやって大切な時間を無駄にしてしまう罪というくらいの認識しかなかったように思います。

でも、そんな次元ではない、自分の命そのものを無駄にする罪を私は犯しているのだと、
この8月31日に放送の特別番組「権力と信仰―ボンヘッファーの信仰に学ぶ」を聴いて、そう自覚させられました。

番組の中で繰り返し出てくる「責任的人間」という言葉。
この言葉だけを聞くと、仕事や家庭などで責任をきちんと果たす人というイメージが湧きますけれども、もっと次元の違う責任が私たちにはあるのです。誰にでも。

ヒットラー暗殺を決断しながら、計画は失敗に終わり、処刑されたボンヘッファー。
むしろ責任を果たせずに挫折して死んだように見える彼が、たったひとつ、果たし切った責任とは何だったのでしょう?

それは、私たち一人ひとり、健康でも病でも、仕事があってもなくても、若くても年老いていても、すべての人に求められている責任、
それを果たすにはどうすればいいのかという答えや原則のない責任、
にもかかわらず、いえ、だからこそ「キリストに従って責任的に生きるとは何かを、今こそ真剣に考えなくてはならない」と言われる責任。

敗戦から73年。
戦争とは、平和とは何かが、いよいよこの国で問われている今、
正しさを叫びながら、神の独り子を殺してしまう私どもの「怠りの罪」を見つめ、
その罪人に差し出された神の命を見つめたいと思います。

昨年天に召された村上伸先生(日本基督教団元教師)による、1989年に行われた公開講演会の再放送、
FEBC特別番組「権力と信仰―ボンヘッファーの信仰に学ぶ」は
8月31日(金)放送です。ぜひお聴きください。