御言葉への憧れ―聖徒を偲ぶ

生きるとは、キリスト 
小林和夫(日本ホーリネス教団東京聖書学院教会牧師)
8月25日(金)放送 「聖徒を偲ぶ」使徒行伝13:36

FEBC月刊誌2023年8月記事より

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まず、使徒行伝の第13章36節をお読みします。

事実、ダビデは、その時代の人々に神のみ旨にしたがって仕えたが、やがて眠りにつき、先祖たちの中に加えられて、ついに朽ち果ててしまった。

貧しい羊飼いから王となったダビデの生涯は、同時代人に神の御旨に従って仕える道を証ししましたが、私にとって車田秋次先生がまさにそうでした。

 メソジスト系の教会でクリスチャンになり、神学校を探していた私と車田先生との出会いは、今でも覚えております。新宿柏木の、戦後に建ったばかりの牧師館の玄関で、秋の初めだったので、はんてんをお召しになって先生は私を出迎えてくださいました。柔和で教養のある方だと一目でわかりました。五尺に足りない小さな先生でありましたけれども、後日ある集会で先生の口から、神の言葉が堰を切るようにして飛び出してくることに驚きを禁じ得なかった。

 車田秋次は、実に御言葉の人、真理の証人でありました。戦争中多くの教会が宮城遥拝をしていた時代に、私たちの教団が、軍部から迫害を受ける中で、それを断固として退けた人でした。
 東京神学大学の総長をなさいました大木英夫先生は後に次のように語っておられます。
 「もしこのイエスはキリストであるという確信をいささかでも緩和できたならば、この衝突(迫害)は避けられたはずである。我々がその殉教者たちに学ばねばならないのは、信仰の教訓は、イエスをキリストと信ずる信仰告白こそが、この世との最も対決になるという真理である」。

 では、当の車田先生はどのようにその弾圧の中を通過なさったか。車田先生が検事から密室で調べ上げられた調書のコピーが奇跡的に残っていて、天皇に従うべきかイエスに従うべきかという、どこにも逃げ場のないところに車田先生が追い込まれたときの弁明をご紹介します。
 「原則として、国の法律は道徳の上に、また神の律法の上に立っておるものと見るべきでありますが、聖書の律法と国の律法と矛盾する場合があったとすれば、そのときには、国の律法以上に、神の律法に従わなければならないのでありまして、結局、殉教する他はないのであります。」

 密室でのことですから、何とでも言えたはずです。事実いわゆる、転びクリスチャンと言われるような牧師が続出した時代でありました。けれども、誰が見ていようが、誰が聞いていようがいまいが、そんなことは問題ではない。神の御前で、神に救われて、神の恵みを生きてきた人生に、もしも蹉跌をきたすなら、殉教をしても御前に生きると仰った。

 これは人間の熱心さによる言葉ではありません。この私を愛して私のために命を捨ててくださったという御方の御前に生きる言葉です。そのときにこの御方が私たちを捨て去ることはない!車田先生は、その時、最高刑を言い渡され、終戦後に放免になりましたが、第二次世界大戦におけるところの日本でのキリスト教への弾圧の頂点に彼は立たされたのでありました。
 私などは、とても耐えられるものではないと言わざるを得ません。しかしながら、こう答えたいと思います。こう生きたいと思います。御言葉の人として、真理の証人として、祝福の起点として、私は生きたいと思います。

 詩編の119編、聖書の中で一番長い章だと言われますが、その18節にこう書いてあります。

私の目を開いて、あなたの掟のうちのくすしきことを見させてください。

 おそらく車田先生の神に対する祈りの頂点は、これであっただろうと私は思うのであります。掟というのは、神の言葉のことであります。どうぞ、私の霊の目が開かれて、そうして、あなたの御言葉のうちに隠されているくすしきこと、ワンダー、奇跡を、神様、御言葉のうちから仰ぐことをえさせてください。アーメン。

 (文責・月刊誌編集部)

 


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