「捨てる」という言葉の意味


井幡清志先生による「いつも、そしてともに―マタイによる福音書」
11月14日の放送では、マタイ4章に書かれる、
主と弟子たちの出会いの姿について語られました。

イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、
二人の兄弟、ペトロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレが、
湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。
イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。
二人はすぐに網を捨てて従った。

そこから進んで、別の二人の兄弟、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、
父親のゼベダイと一緒に、舟の中で網の手入れをしているのを御覧になると、
彼らをお呼びになった。
この二人もすぐに、舟と父親とを残してイエスに従った。

仕事も家族も「捨てて」
イエス様に従ったと書かれるペトロたち。

私もすぐに自分の大切なものを捨てねばならないのだろうか?
いや、財産だけならともかく、親でさえも…?
そうして真剣にみことばを受け止めようという方ほど、
この聖書箇所はつまづきになり、時には痛みにさえなるのだと思います。

しかし、井幡先生は語られます。
この「捨てる」という言葉は、「奪う」ことを目的にしているのではなく、
むしろ、新しい事を私達に告げ知らせようとしているメッセージなのではないか、と。
全く真逆ですね!

果たしてそのメッセージとは一体なにか。
先生の聞き取った、新鮮な聖書の味わいを
ぜひ、ご一緒に分かち合いましょう。