4/15 復活―主イエスとの出会い

日曜礼拝番組・イースター礼拝 全地よ 主をほめたたえよ 
日本基督教団小岩教会・川島隆一牧師
4月17日(日)放送「拭われた涙」ヨハネ福音書20章11~18節

FEBC月刊誌2022年4月増刊号記事より

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マリアは墓の外に立って泣いていた。泣きながら身をかがめて墓の中を見ると、 イエスの遺体の置いてあった所に、白い衣を着た二人の天使が見えた。一人は頭の方に、もう一人は足の方に座っていた。 天使たちが、「婦人よ、なぜ泣いているのか」と言うと、マリアは言った。「わたしの主が取り去られました。どこに置かれているのか、わたしには分かりません。」 こう言いながら後ろを振り向くと、イエスの立っておられるのが見えた。しかし、それがイエスだとは分からなかった。 イエスは言われた。「婦人よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか。」マリアは、園丁だと思って言った。「あなたがあの方を運び去ったのでしたら、どこに置いたのか教えてください。わたしが、あの方を引き取ります。」 イエスが、「マリア」と言われると、彼女は振り向いて、ヘブライ語で、「ラボニ」と言った。「先生」という意味である。 イエスは言われた。「わたしにすがりつくのはよしなさい。まだ父のもとへ上っていないのだから。わたしの兄弟たちのところへ行って、こう言いなさい。『わたしの父であり、あなたがたの父である方、また、わたしの神であり、あなたがたの神である方のところへわたしは上る』と。」 マグダラのマリアは弟子たちのところへ行って、「わたしは主を見ました」と告げ、また、主から言われたことを伝えた。 (ヨハネ20:11~18)

墓の外に立つマリア

 ここには主イエスが葬られた墓の前で泣いている女性が描かれています。この女性は、マグダラのマリア。ルカ福音書によれば、主イエスから七つの悪霊を追い出して頂いた人です。七つとは、存在のすべてが悪霊の支配下にあったということです。彼女は生きながらにして地獄のような日々を送っていました。絶望という死の病に侵され、自分などいてもいなくても良いと感じること。そこから救い出してくれた方こそが主イエスでした。しかし今やその方が、十字架で処刑され墓に葬られた。その喪失感、悲しみ、痛みをヨハネはこう描きました。「マリアは墓の外に立って泣いていた」と。

 さらにマリアは「泣きながら身をかがめて墓の中」を覗き込むのです。誰もが目を逸らしたくなる墓を覗き込むのです。この後ヨハネは、愛する者を失ったマリアの悲しみの深さを、天使の語りかけにも、また、甦りの主イエスの語りかけにも、マリアが全く心を動かしていないことで描きます。天使も、主イエスもマリアに向かって、「なぜ泣くのか、なぜ泣くのか」と語りかけます。しかし、その声はマリアの心に届かないのです。

 「全詩編中最も悲しい詩」といわれる詩編88編は、「愛する者も友もあなたはわたしから遠ざけてしまわれました。今、わたしに親しいのは暗闇だけです」(19節)という言葉で結ばれます。あるいは溺愛していたヨセフが、兄弟の妬みにより売られて死んだとの知らせを受けた時のヤコブもそうでした。ヤコブは慰められることを拒むかのように、こう言ったのです。「ああ、わたしもあの子のところへ、嘆きながら陰府へ下って行こう」(創世記37:35)と。マリアの心もまた、墓穴を虚ろに彷徨っていたのです。「今、わたしに親しいのは暗闇だけ」だというように。

 このマリアの悲しみに追い討ちをかけたのが、墓から主イエスの遺体が「取り去られた」ことでした。当時のユダヤ教の慣習によれば、死刑を執行された人は個人的な墓をもつことが許されないのです。しかし、主イエスは十字架刑となったにもかかわらず、アリマタヤのヨセフとニコデモの二人によって、新しい墓に納められたのです。それは、主イエスの敵対者にとっては許しがたいことです。だからこそ、彼らが夜の闇にまぎれ、主イエスの遺体をその墓から犯罪者たちが葬られる墓へと移すような事は十分考えられたことでしょう。いったい、あの日、何があったのか。なぜ、主イエスの遺体が墓から消えたのか。しかし、それは主イエスの敵対者たちが遺体を移したためではありませんでした。

願望を超えた祈りとしての呼びかけ

 ヨハネ福音書は、この出来事を悲嘆に暮れるマリアの姿から描いていきます。墓の前で泣きながら身をかがめていたマリアが、光の世界へ、喜びの世界へ連れもどされたと描くのです。しかも、一瞬にしてです。それは、主イエスが「マリア」と呼びかけたときに起きました。そのときマリアは暗闇の世界から光の世界へと移された。泣いていたマリアは一瞬にして歓喜に包まれイエスを「ラボニ(先生)!」と呼んだのです。

 このことを思い巡らしながら、私はシベリアの抑留体験をまとめた石原吉郎の「断念の海から」の一節を思い起こしたのです。その中にこんな描写があります。「しばしば北へのぼる日本人と、南へくだる日本人とが、同じ沿線中継収容所で落ちあうことがある。お互いに日本人であるというだけで、別に顔見知りでもなんでもない場合がほとんどですが、たとえば北へ行く日本人は、南へ行く日本人に自分の名前をおしえて別れるわけです。そういう場面になんどか出会ってみてはじめて、人間の名前というものがもつ不思議な重さを実感したわけです。」そして石原氏はこう記すのです。「あわただしい場面で、手みじかに、明確に相手に伝えなければならない最後の唯一のものは、結局は姓名、名前でしかない。…それはほとんど願望を通りこして、すでに祈りのようなものではなかったか。」

 この不思議な重さを持つのが名前です。マリアは自分の名を呼ばれて、暗闇から光の世界へと立ち戻った。換言すれば、マリアが見失っていたのは、ご遺体でも、いわんや主イエスという存在でもなく、マリア自身だったのです。それを象徴的に語っているのが天使の、そして主イエスのマリアに対する「婦人よ」という第三人称の呼びかけではないでしょうか。マリアの方こそが、二人称としては受け取ることができなかった。それほどマリアは、愛する者の死を前にして自分自身を見失ったのです。「愛する者も友もあなたはわたしから遠ざけてしまわれました。今、わたしに親しいのは暗闇だけです」。この「婦人」に、主イエスは「マリア」と語りかけられるのです。

 私は思います。「マリア」という主イエスの呼びかけは、「願望を通りこして、すでに祈りのようなものではなかったか」と。もとより主イエスに名を呼ばれることが特別な意味をもっていることは、ヨハネが伝える良い羊飼いの譬えからわかります。そこには羊飼いは自分の羊の名を呼んで群れを囲いから、緑の牧場に伏させ、憩いの汀に伴われると語られています。ここでも、マリアは主イエスにその名を呼ばれることで、暗闇に親しんでいた者が、一瞬にして「わたしは主を見た」と歓喜の中を生きる者とされたのではないでしょうか。

復活者と見える

 結びに、この喜びが、初代教会の信徒一人一人のものであったことを伝えるパウロの言葉を聞いて終わりたいと思います。フィリピ書2章6節以下です。これは初代教会の讃美歌からの引用であると言われているものです。

 「天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて!イエスの御名にひざまずき、すべての舌が、『イエス・キリストは主である』と公に宣べて、父である神をたたえるのです!」

 神である主イエスが低きにくだり、十字架で死んでくださったことによって、初代のキリスト者たちは旧約の賛美を超える賛美を歌うことが許された。それは、神賛美とは無縁の、地下のものが父である神をほめ讃えることに表されています。

 先ほどの詩編88編の詩人は「墓の中であなたの慈しみが、滅びの国であなたのまことが、語られたりするでしょうか。闇の中で驚くべき御業が、忘却の地で恵みの御業が、告げ知らされたりするでしょうか。」(12、13節)と歌っていますが、神の御子が十字架で死なれたことで、墓の中で、滅びの国で、闇の中で、忘却の地で、神の驚くべき御業が、慈しみが、まことが語られたのです。

 わたしは思います。私たちが今、現に生きている世界、それは臭気立ち込める墓、死の世界です。板子一枚下には無の深淵、死が横たわる世界です。その死と暗闇の世界に生けるキリストを見た者は、その後どのような現実に出会っても雄々しく生きていけると言えましょう。

「死の陰の谷を行くときも、わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。」(詩編23:4)

 「復活節のよろこび。それは苦痛の後に来るよろこび、束縛の後の自由、飢えの後の満腹、別れの後の出会いではない。それは、苦痛を遥か下にして舞うよろこびであり、苦痛を完成するものである。」(シモーヌ・ヴェイユ)

 今、私に親しいのは光と、キリストは十字架に釘打たれた手で、私たちの涙を拭いとってくださるのです!

 (文責・月刊誌編集部)

 


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