主の「言葉」に十字架が込められている、と…!

リスナーの声、あなたの思い

主の「言葉」に十字架が込められている、と…! 5/1

番組「恵子の郵便ポスト」より

マタイ27章。十字架上で、イエス様が叫ばれるほどに辛かったのは『御父に見捨てられた』から、なのですね。ただ、こうして理解したつもりでも、やはり十字架を我が事として受け止められずにいます。

しかし、28章では、復活されたイエス様の「おはよう」に、安らぎを感じました。今まで身近に感じることができなかったイエス様が、近づいてくださったように感じて…。その中で、印象に残ったのは、「恐れることはない」という御言葉でした。私自身、些細な日常のことにさえ恐れを抱いてしまいます。でも、だからこそ、「恐れることはない」と言われたのですね。このように考えていましたら、ふと「言は神であった」(ヨハネ1:1)が心に浮かびました。「恐れることはない」という言葉に、十字架のすべてが込められているのだと、思いがけず涙がこぼれ、こう祈っていました。

「主よ、私は、イエス様の十字架がわかりませんでした。父なる神様の御愛も。それは憧れのようなもので、ずっと求めていました。なかなか応えてくださらないので、『どうせこんな鈍らな私なんか…』と、時にはいじけながらも、あなたに祈り続けてきました。けれど、あなたは私の霊に触れてくださいました」と。「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」という御言葉が、今、活き活きと私の中に響いています。

 

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