行手の先

日曜礼拝番組 全地よ、主をほめたたえよ 
川島隆一牧師(日本基督教団小岩教会牧師)
6月11日(日)放送「静かなる絶望」ヨハネによる福音書5章1~9a節

FEBC月刊誌2023年6月記事より

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その後、ユダヤ人の祭りがあったので、イエスはエルサレムに上られた。エルサレムには羊の門の傍らに、ヘブライ語で「ベトザタ」と呼ばれる池があり、そこには五つの回廊があった。この回廊には、病気の人、目の見えない人、足の不自由な人、体の麻痺した人などが、大勢横たわっていた。さて、そこに三十八年も病気で苦しんでいる人がいた。イエスは、その人が横たわっているのを見、また、もう長い間病気であるのを知って、「良くなりたいか」と言われた。病人は答えた。「主よ、水が動くとき、わたしを池の中に入れてくれる人がいないのです。わたしが行くうちに、ほかの人が先に降りて行くのです。」イエスは言われた。「起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい。」すると、その人はすぐに良くなって、床を担いで歩きだした。(ヨハネ5:1~9a)

 ヨハネはこの記事の舞台を、エルサレムの「羊の門」の傍にある池としました。この池はその土地の言葉で「ベトザタ」と呼ばれ、五つの回廊に取り囲まれていたとあります。この池は考古学的にその位置が確認されています。発掘された池は地表から7−8m下にある岩状の巨大な施設で、五つの柱廊から成り、そのうちの四つは水深13mの二つの池(北側の池は40×50m、南側は50×60m)の四方を囲み、第五の柱廊は池を隔てる厚さ6.5mの隔壁の上にあります。1961年、この二つの池の東側に、岩をくり抜いて造られた浴槽が発見されました。病人たちが集まったのはこの浴槽です。


 いったい、ヨハネはこの記事で何を描いたのでしょうか。「ヨハネ福音書と向き合うことは、未踏峰の山に挑む登山家のようである」と言った人の言葉を思い起こしながら、私もまたこの記事を説き明かすのに、より冒険的な道を探し出したいと思います。そして、その正否は、終わりの日の主の裁定に委ねます。


 まず注目したいのは、この記事の導入句「その後、ユダヤ人の祭りがあった」です。この祭りは、「仮庵祭か過越祭か」のどちらかであると言われますが、私は「仮庵祭」ではないかと考えます。その根拠は、この記事の主人公が病に臥した「38年」という記述にあります。ヨハネ福音書は時間や場所に象徴的な意味を持たせていることで知られ、「38年」という年月は、申命記2章14節によりますと、エジプトを脱出したイスラエルの民が約束の地に到着するまでの荒れ野を旅した年月なのです。つまり、エジプトを脱出した民が荒れ野を旅したことを記念する祭りが、仮庵祭だからです。申命記16章には次のように語られています。「あなたは七日間、仮庵祭を行いなさい。息子、娘、男女の奴隷、あなたの町にいるレビ人、寄留者、孤児、寡婦などと共にこの祭りを喜び祝いなさい。」そしてこの仮庵祭は、過越祭、七週の祭りと共に、イスラエルの成人男子が年3回守ることを求められた大祭でした。


 いったい、神の民は仮庵祭で、どのような現実に入り込んだのでしょうか。出エジプト記および民数記によれば、エジプトを脱出したイスラエルの民は、荒野の旅で何度も不平不満を口にします。シュルの荒野には、水がなく、シンの荒野では、飢えた民衆が「われわれをこの荒野に導き出して、餓死させようとするのか」と神とモーセに詰め寄ったのです。また、シナイ山では、神を見捨てて金の子牛像を拝むという罪を犯します。結果として、申命記2章14節はこう伝えます。「カデシュ・バルネアを出発してからゼレド川を渡るまで、38年かかった。その間に、主が彼らに誓われたとおり、前の世代の戦闘員は陣営に一人もいなくなった」と。だとすれば、38年もの間病にあった人でヨハネが描いたのは、この荒れ野のイスラエルの現実ではないのか。というのは、病気は罪に対する神の罰であるというのが聖書の民の思想です。つまり過越祭ではエジプトで奴隷であったことを思い起こすように、仮庵祭を祝う時には人はこの罪の現実に入り込むのです。


 しかし、荒れ野の旅を記念する仮庵祭で入り込む現実は、罪の現実だけではありません。左近淑先生は「十戒」の説き明かしとの関連で、次のように言われました。「解放された民は、危機的な虚無の現実である荒野に囲まれた…生を忠実に生きながら、うむことなき忍耐をもって約束の地…を目指して歩」んだのである、と。言い換えますと、水が動くのをひたすら待ち続けたこの人によって、ヨハネは神の成就の可能性をいかなる限界もつけずに描いたのではないでしょうか。


 これとの関連で注目したいのは、2節のエルサレムにある「羊の門」です。バビロン捕囚後、第二神殿の基礎が据えられた時の光景を、旧約聖書エズラ記は次のように描きます。「昔の神殿を見たことのある多くの年取った祭司、レビ人、家長たちは、この神殿の基礎が据えられるのを見て大声をあげて泣き」(3:12)と。ここで年取った者たちが「泣いた」とは、感無量というのではありません。この神殿には、ソロモン神殿を覆い尽くした神の臨在が欠けていたのです。


 なぜそう言えるのか。ヨハネはこのあと10章で、次のような主イエスの言葉を伝えています。「はっきり言っておく。わたしは羊の門である。」主イエスが「羊の門」であるとは、主イエスを通らなければ、だれも父のもとに行くことはできないということです。そして、主イエスを通るとは、罪の赦しが起こるということです。洗礼者ヨハネは、イエスを指差してこう言いました。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。」


 ベトザタの池を取り囲む回廊は、エルサレムの「羊の門」の傍にありました。そこで横たわっていた病人は、なぜ38年もの間、池の傍に横たわっていたのか。それは、池の水が動いたとき、この人を池に運び入れてくれる人がいなかったのです。池の水が動く時、もしかして誰か親切な人がという淡い希望と、結局誰も手を差し伸べてくれなかったという絶望を繰り返しながら、この人の傍を38年の歳月が流れたのです。こうしてヨハネは、この人が生きた絶望の深さを浮き彫りにしたのです。そして好対照をなす記事が、共観福音書にあります。中風で寝たきりの人の癒しです(マルコ2:1以下)。中風で寝たきりの人は、四人の男に担がれて主イエスのもとに運ばれて来ました。しかし、この38年寝たきりの人には彼を池に運んでくれる「愛する者も友も」いなかった。ただ、暗闇だけを親しいとする「静かなる絶望」を生きていたのです。その人に向かって、主イエスが「起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい」と語りかけました。そうすると、友に担がれてきた中風の人と同じように「すぐに良くなって、床を担いで歩き出した」のです。それは、主イエスが「あなたの罪は赦される」と語られたからに他なりません。38年もの間、病にあったこの人のためにも、いやこの人のためにこそ主イエスが十字架で裂かれた肉、流された血で罪を赦されたのです。だから、癒やされたのです。ここに救いがあります。


 38年の間、誰からも愛されず、見捨てられ絶望の中を生きていた人が、羊の門—十字架のキリストによって罪赦されて、新たに生まれ変わった。結びに、その姿を、旧約において約束の地を目指して、うむことなき忍耐をもってこの世という荒れ野を行進する聖書の民の姿を描いたヘブライ人への手紙に聞いて終わりたいと思います。


「わたしたちには一つの祭壇があります。イエスもまた、御自分の血で民を聖なる者とするために、門の外で苦難に遭われたのです。だから、わたしたちは、イエスが受けられた辱めを担い、宿営の外に出て、そのみもとに赴こうではありませんか。わたしたちはこの地上に永続する都を持っておらず、来るべき都を探し求めているのです。」(13:10~14)

 (文責・月刊誌編集部)

 



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