喜びを歌う

石巻J―CCMステーション 
伊藤治哉(日本ルーテル同胞教団石巻希望の家牧師)
1月9日(火)放送「希望の新天地」

FEBC月刊誌2024年1月記事より

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 震災の翌日から宣教師夫妻が入って泥出しや家屋の修繕に尽力する傍ら、頻繁にコンサートなどを開いて来たこの小さな家の教会は、海岸から約五百メートルという特に被害の大きかったエリアに「石巻希望の家」と名付けられ建てられました。

 私はそれまで関東でクリスチャンアーティストたちをサポートする働きをしていたので、彼らを被災地に送り出していたのですが、当初は歌よりも泥出しや炊き出しなどのボランティア活動を優先しつつ、周囲の要望に応える形で徐々に歌声を届けていました。特に年配の方々が多かったので、懐かしい唱歌や歌謡曲などを織り交ぜながら「賛美」を届けていたんです。けれど「このような時に音楽どころではないのではないか」と葛藤もありました。ですから、神様が働いてくださることを信じ、祈りながらの活動だったのです。そこで、私にもこの地に特別な思いが与えられたように思います。

 ここは本当に教会が一つもなく、100%に近い人々がお寺の檀家という町でした。だからこそ、信頼関係がつくられていく中で、人々が少しずつ敷居を超えて教会へ集ってきてくださるのは神様の御わざを見させてもらっていると日々感じています。色々と辛い出来事があったあるご婦人が、古いポップスを聞いて懐かしい思い出が蘇ってきて、翌日の礼拝に出席してくださったことがあります。そうやって一人また一人と礼拝に集ってくださることが本当に嬉しいのです。

 私にとって賛美、そして音楽はごく自然なこと。信仰告白と宣教を併せ持つ神様からのプレゼントなんです。ですから、私自身が賛美からさまざまな恵みをいただいています。
 しかし、赴任して初めの頃は新米牧師としての意気込みが強いあまりに、思い通りにならないことで焦りを覚えるようなこともありました。しかし、今は地元の方々とバンドを結成して教会でライブをしたりしていて、神様のタイミングで救いを起こしてくださることを期待して賛美しつつ歩んでいます。

「それから、彼は民と相談し、主に向かって歌う者たち、聖なる飾り物を着けて賛美する者たちを任命した。彼らが武装した者の前に出て行って、こう歌うためであった。『主に感謝せよ。その恵みはとこしえまで。』」(歴代誌二20:21)

 (文責・月刊誌編集部)

 


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