受容と和解の神~ある夫妻の証言~

コーヒーブレイク・インタビュー 
マーク・ウィリアムズ氏 (国際基督教大学(ICU)国際学術交流副学長、専門・日本文学)
半田ウィリアムズ郁子氏 (英国国教会司祭、国際基督教大学(ICU)評議員、聖路加国際病院非常勤チャプレン)
お相手・長倉崇宣
1月6日(土)・13日(土)・20日(土)放送「受容と和解の神~ある夫妻の証言~」

FEBC月刊誌2024年1月増刊号記事より

・・・




 イギリス人の私にとって日本は遠い東のただ見知らぬ国でした。しかし言葉を学ぶことが好きで、ある日本人とのほんの短い会話をきっかけに私の人生は変わりました。彼から聞いた日本についての話を帰宅してから家族にしたところ、姉から「それじゃ日本について学べば」と言われたことがきっかけで、オックスフォード大の日本学科で平仮名から始めて日本文学や歴史、政治経済まで一通り学びました。その後バークレーで出会った方が遠藤周作の専門家で、彼に影響されて日本文学、特にキリスト教と文学の接点について博士論文を書いたのです。

 今は隠れキリシタンに興味をもっていて、最近『天地始之事』という本に出会いました。10世代ぐらい250年の間、教会はもとより神父も聖書もない中で、口で伝えられてきた信仰を、明治に入ってから文書にしたものです。創世記の冒頭と福音書にあたる内容なのですが、仏教的にしたところが多くあります。マリア様と観音様が一緒に出てくるとか、最後の晩餐も日本式になっていて、イエス様がお米を取って分け与えるとかですね。明らかに聖書と違うのですが、私はその中に「母なるもの」のイメージを強く受け取っています。隠れキリシタンにはその事は非常に大事で、信仰を隠して生きる中で、優しい存在が必要だった。これは遠藤の中心的な概念でもあり、代表的著作である『沈黙』の、踏み絵を踏まれる場面での神の言葉「踏むがいい」に現れています。それはとても優しい言葉。ただ残念なのは、ここの英訳が命令形「Trample!」ってなっているのですよね。これでは怒っているみたいですよね。しかし、遠藤はここに母なるもの的な「同伴者」である神のイメージを重ねているのだと思うんです。

 日本におけるキリスト教徒の数は、鎖国時代も含めてごく僅かに留まります。しかし、ICU始めこの国には多くのミッションスクールがあり、日本の教育に貢献してきました。さらに政治や医学など社会への影響は大きい。私にとって実に日本とキリスト教の関係性は興味深いのです。





 イギリス人である夫が母国に戻って日本学を教えるため、1989年の1月に私も渡英したのですが、それが和解ということについて関心を持つ始まりになりました。なぜなら天皇崩御の時だったからです。その時のイギリスは私が想像していなかった空気に包まれていました。連日の報道に昭和天皇や日本への人々の感情がとても厳しく強いものに感じられ、大きなショックを受けました。むろん夫の家族や周りの人たちは私を良く受け入れてくれ、私は慰め励まされて、教会生活を始める事ができましたが、それでもこの話題は避けてきました。それから10年後にイギリス人の元捕虜と日本人との和解礼拝に参加する機会が与えられたんです。その陰には、一人の日本人クリスチャンの存在がありました。彼女はそれ以前から元捕虜の人たちに関わる働きをされていたのですが、彼女から誘われ、どうしても行かなくちゃという思いで参加したのです。

 その礼拝で、ある日本人牧師が懺悔の祈りを捧げられ、初めて私も日本人として一緒に祈ったのです。その方は神の御前で、元捕虜やご家族の前で、許されることのない過ちを、国の名前で行い、そのことを覚えて悔いると祈られました。私はその時初めて神の前で、そして人の前で悔いる気持ちを言葉にして差し出すことがどんなに大事なことかっていうことを体験しました。私たちはイエス様の十字架のもとで、この祈りを祈らせていただいているんだと。もう涙が止まりませんでした。自分の罪の赦しっていうものを、やっとわからせていただけた。しかし、その後平和を分かち合うしるしとして出席者同士で自由に握手しましょうってことになり、でも私は勇気がなくて躊躇してしまったんです。ところが、イギリス人の方から日本人に握手を求めて歩み寄ってくださった。子供の頃から聞いてきた敵を愛しなさいというイエス様の教えを生まれて初めて経験したんですね。

 実は今関わらせていただいている国際基督教大学は私の母校でもありますが、その創設の発端に、あるアメリカ人牧師の和解の祈りがあるんです。その方は、アメリカの教会の人たちにナザレのイエスの教えのように「愚かな提案」として、敵国であった日本の荒廃と人々の苦境を訴え、彼らを助けたいと働きかけられました。その祈りにアメリカだけでなく日本からも教会を超えて応える人が現れ、平和を構築してゆく若い人たちを育てる大学を建てるというビジョンになっていったんですね。だから今、この初めのビジョンを強く思い起こしたいと思っています。

 (文責・月刊誌編集部)

 



 月刊誌「FEBC1566」購読申し込みページへ>>